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ジェイフィールは、良い感情の連鎖を起こすことで、
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コラム・日記(佐藤将)

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑭ 2017年6月7日

14.もう一つの、この世界(Ⅰ)

まだ昭和という時代の事。
その日、旧い江戸期の建物を改造した日本家屋のお座敷で一人遊ぶ子がいた。
プラレールという鉄道のおもちゃに夢中になって。
ようやく完成したレールに列車を載せて動き回っていると、祖父が、襖(ふすま)を開けて入って来て、新しい歌を教えてくれた。
「どうして橋が落ちるの?」。
「お船が下を通るために、真ん中から開くのだよ」
「こうやってね」
そう言って、両手で橋が開く仕草をしてくれた。

数十年後、はじめて現地に行った時、それがロンドンブリッジではなく、タワーブリッジだと知った時、思わず笑った。と同時に、その時のシーンが、極めて日本的なお座敷のシーンが、畳や襖、床の間や縁側のシーンが、蘇った。

*****************

その日、明るい日差しが差し込むモダンなオフィスで、仕事に没頭していた。
ビジネスというレールの上で没頭して。
まだロンドンに来てから数ヶ月。
気持ちいい金曜日なのに、慌ただしくタスクをこなしていた。
ようやく午前中の仕事を完成し、ランチを買いに行こうとした時、隣のチームの同僚からのメイルを発見した。
「私たち数名で、Borough Market(バラ・マーケット)に行くけど、行かない?」

自分が所属したチームは国際色に溢れていたけど、隣のチームは、ほぼ英国人で構成されていた。恐らく、弁護士資格が必要、または、その候補生がメインだったから。
(バラ・マーケットって、どこだ?)
ネットで検索する。
(あーあそこの事か・・・)。
ロンドンブリッジの袂、世界中の人々が集まる露店市場(いちば)。新鮮な野菜や、それ以上に、ロンドンでは珍しく新鮮なシーフードも売っている。ランチタイムは、出来たてのフードを買って、多くのビジネスマンや観光客が食事をする。ロンドンの中でも、極めて"グローバルな場所"。
(歩いていくと、ここから5分くらいか・・・)
カレンダーを見る。
その日に限って12時半からプロジェクト・メンバーとの予定が入っている...。午後も一杯。
メンバーのデスクを見ると、既に席にいない。新しいメンバーだけにドタキャンはかわいそうだ。

すぐにメイルに返信する。
「声をかけてくれてありがとう。でも、今日は打ち合わせがあるので、ごめんなさい。次回に」。

*****************

その後、隣のチームのメンバー達とは、ちょっとしたプロジェクトで一緒になったり、金曜の帰りにパブで(極めて英国風のオーセンティックなパブで)飲んだりする機会を得たけど、そう言えば、バラ・マーケットで一緒にランチすることはなかった。

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これからの時代も、グローバリゼーションとアイデンティティとの間で多くの確執、葛藤、時に衝突が起きていくだろう。
けれど、日本の新世代の人たちには、いや、世界中のミレニアル世代の人たちには、その相克を乗り越えていって欲しい。
たぶん、どっちも大事だから・・・

どうやったら、そのジレンマを越えていけるのだろう?(次回に続く)

佐藤 将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑬ 2017年5月8日

13. いつかいた森

「森と聞いてあなたが思い浮かべる森は?」
――この世界、たくさんの森があるけれど、あなたが思い浮かべる森はどこの森ですか?その景色、その空気、そこにいた感覚を思い出してみてください――

昨秋、はじめて『森のワークショップ』に参加する機会を得た。
集合場所は、京王線で新宿から50分の長沼という駅。
(意外に近いな)
集合時間ピッタリに着くと、参加者の皆さんが待っている。
(、、、)
しばらく田んぼの中の畦道を通ると、小さな祠のある神社に着く。
山の麓、森のエントランス。
そこで荷物を下ろして体操。

その時、森からの風が、少しひんやり湿った風が頬を撫でる。
(あっ!)
(どこかで感じた感覚、、、)
(そうだ!子どもの頃によく遊んだあの森の感覚、、、)
その時、その頃の風景や友達の顔が、数十年ぶりに、思い出される。
(こんなに早くからデジャブ感、、、)
先が思いやられる「森の世界」。

***************************

日本という国は、
テンプレ的には、海に囲まれた「島国」。
東の果て、大陸からの流浪人(refugees)が集まった「隠れ里」。
明治以降は、海外との通商で稼ぐ「海洋国家」となった。

けれど、ワークショップ主催者の小野さん(一般社団法人森と未来 代表理事)によると、国土の7割以上が森林。森林率ではトップ3に入る、実は世界有数の「森の国」であるという。
(確かに山林地帯が多く、川は急流だな、、、)
(日本人は、本来、森の民族だったのか、、、)

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<再び森>
森に入ると、五感を一つずつ開くワークから始まる。
(鳥のさえずりが5重奏になる、、、)
(風の音が聞こえる、、、)
(懐かしい匂いが、、、)
(空気を肌に感じる、、、)
そして、身体中の神経が安らいでいくのがわかる。

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日本の森は、
確かにドイツの森ほど、暗く深淵で魔法使いがいそうな雰囲気はない。
英国の森ほど、朗らかで妖精が出てきそうな気配もない。
米国の東海岸に比べたら、四季の抑揚は滑らかだ。

けれど、そのほどほどの四季感と、
雨季や台風による豊かなウエット感が、
何か神秘的な雰囲気を与えている。

森羅万象、八百万(やおろず)の神信仰は、
そんな風土から生まれたのだろう。

「神々と共にある森」。

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<再び森>
森の中を歩きながら、様々なワークが用意されている。
繊細なこころ配りされたデザイン。
自然に、いや自然以上に、「森の世界」に入っていく。
(うん、週末のハイキングとは明らかに違うな)

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日本人が持つ特性の一つに、
サブトル(Subtle)なものへの感度の高さがある。
微細な変化、見えない機微(Kibi)に対して、
繊細(Sensitive)で、鋭敏(Keen)な感覚(DNA)がある。

侘びさび文化だけではない。
ものづくりにおいても、以前、その力は十分に発揮されてきた。

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<再び森>
森の中を歩いていると、
別の世界に放り込まれていく感覚がある。
この世界とあの世界の狭間の世界に。
(あー、ここは結界なのか)

自分の中の潜在意識のゲートが開かれていく・・・

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最近、グーグルをはじめとしたシリコンバレー企業で、マインドフルネスやEQマネジメントが人気だという。管理職研修もそのウエイトが大きくなっているという。
10年前にはあまり聞かなかったエンパシー(感情移入)をはじめ、レゾナンス(共振・共鳴)からコンパッション(共苦・同苦)まで、センスする力=「センシング力」が、新しいリーダーシップの中核となっている。恐らく、脳科学的に、センシングを使う脳のCPUが、思考(シンキング)だけに比べて、格段に大きいのであろう。

本来、それは日本人が、圧倒的なアドバンテージを持っていた部分。
それが、いつの間にか、インダストリー社会の中で分断され、MBO(目標管理)を達成するパーツ(部品)として思考(シンキング)優先になってしまってはいないだろうか。

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昨年、東京で開催されたRRT(リフレクションラウンドテーブル)世界大会。

その初日のハイライトは、内省と対話に関するクロストークであった。登壇者は、リーダーシップ論の権威でRRTの生みの親のお一人ゴズリング教授、シリコンバレーでも禅や瞑想法に関して数多くの講演経験を持つ藤田一照禅師、そしてこの森のワークショップを手がけておられる小野なぎささん。弊社小森谷さんの進行で進む。

最初、ゴズリング教授が、リフレクション(内省)とは、思考の蝶つがい、紙を折る感覚に近い。「日本人の内省力には、「折り紙」文化が影響しているのでは?」と問う。

その難しい問いに、藤田禅師が間髪入れずに応える。
「昔、日本の看護婦さんが、サンフランシスコのある病院に短期体験でいらした時の事。一人の男性患者が、病気で自暴自棄になって大暴れしていたという。言葉も上手く通じなかった彼女は、その彼に近づき、持っていた紙で、折り鶴を折ってみせたという。その瞬間、彼は、『マジックだ!ミラクルだ!』と言って、周囲の人に見せて周り、自然に穏やかになった」との事。

それを聞いた小野さん。「人類が森で生活していた時代は、人も生物も木々も、すべてが繋がっていた。現代になって都会で生活していると、ノイズ(訳:雑音、固定観念)によってディスコネクトされてしまっている。だから、私たちは新たに繋がるのではなく、ただその昔持っていた繋がりを取り戻す、リコネクトするだけでいいのだ」と。

紙という2次元の世界が、折り紙になって3次元に、そして人の心を介してさらに高次元に繋がった瞬間。

もし、私たちが、内省や対話を、思考(シンキング)だけでなく、「センシング」で捉えられれば、「我が社の問題はコミュニケーション」という企業は大幅に減るだろうと思う。

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<再び森>
森を散策した後、囲炉裏のある古民家で、絶品の焼鳥や麦とろ飯を食す。素材も素晴らしいけれど、こちらの五感も開いているので、格別に美味しく感じる。
その後、木の香り溢れるロッジで、対話セッションを行う。普段、都会で行う対話(どちらかというとシンキング系の対話)とは違うセンシング系の対話。

その後、16時現地解散。17時前後には都心に戻る。
少し次元の違う世界にいたせいか、とても長く充実して感じた1日。はじめて出会った方々と共に語らいながら帰路につく。

その日、最寄り駅のホームに降り立った時、まだ明るい夜空に一番星が輝いていた。

予想していなかったよ。21世紀の未来の革新(ルネッサンス)の鍵が、いつかいた森の中にあったなんて -

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――あなたが思い浮かべた森はどんな森でしたか?――

注)文頭、文末の問いは、一般社団法人森と未来さんのセミナーから特別に引用させていただきました。


佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑫ 2017年1月16日

12. ゼロから始める異次元モールス

この世界のイノベーションは、二つのものが偶然にコネクトした時に起きるスパークのようなもの(新結合)なのだろうか。それとも、そのすべては、この宇宙が生まれた時からある「万有引力の法則」に従った結果にすぎないのだろうか・・・

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先日、マイケル・スペンサー氏の音楽創造セッションを体験する機会に恵まれた(!!!)
マイケル・スペンサー氏は、世界中で活躍する音楽家兼ファシリテーター。
ビジネスリーダーから子供たち、障害者の方にまで、「音楽を通して、人やチームの可能性を引き出すワークショップ」を提供されている。

大の日本通で日本語も堪能。日本フィルハーモニーのコミュニケ−ション・ダイレクターもされており、「第九の大工」という隠喩(Metaphor)で、ベートーベンの名曲と東大寺の建築様式との比較解析までされている。

元々は、英国ロイヤルオペラでご活躍。
その後、音楽x教育の可能性に気づかれたという。

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当日のテーマは、『宇宙と芸術』(?)
森美術館 宇宙と芸術展で展示されている「竜安寺石庭ベクトル構造」にインスピレーションを得て、グループで音楽を創るのだという(??)
そのうえで、違う作品を見た全6グループで、
「この宇宙」をテーマにアンサンブル(協奏)するという(???)
それも、7名のその日出会ったばかりの人たちで・・・
相手の所属や専門性、役割やバックグラウンドも知らないまま(??????)
「相手の名前」(Label)すら、知らないまま・・・(・・・)


でも、
生まれたんだ (!!!)
ミュージックが (♪♪♪)
アンフォーチュネートリー (悔しいけど)

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑪ 2016年1月28日

11.この世界で見つけたもの

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家を訪れた時のこと・・・

フィレンチェから列車とバスを乗り継いで約2時間、
トスカーナの丘の上、
ヴィンチ村と呼ばれる小さな村からさらに徒歩で1時間、
ちょっとした山の頂にあった。

遠くにはアルプスの山々がそびえている。
眼下には、ヴィンチ村、
その先に、かつてルネサンスの中心であった、フィレンチェ。
(随分、遠いのだな・・・)

家に入ると、真っ暗な部屋で生い立ちビデオが上映されている。
日本ではあまり知られていない彼の幼少期。
(なんて孤独な幼少期だったのだろう・・・)

暗闇から出て、庭を散策する
水の音に誘われて、崖の下に降りていくと、
小さな滝があった。
美しい滝壺を見ていると、ふと彼の生きていた時代に引き戻されるような感覚になる。
(こうして寂しい時間を過ごしたのだろうか・・・)

*********************

若い頃、海外で仕事をしていて良かったことの一つに、「内面世界」を持った人々との出会いがあった。
最初は、「なぜ気後れする」のか、わからなかった。
それは、相手の地位や職業、知性や経済力とは、全く別の基準だったから・・・
けれど、いつからか、すぐわかるようになった。
なぜかわからないけど、出会った瞬間に感じる何かがあった。
その内、それが、相手の瞳にあるのだと、わかった。
深い深〜い湖のような奥行きを持つ瞳だから。
(何が、そんな瞳をつくるのだろう・・・)

*********************

振り返れば、自分は、「内面世界」を持つ歩みをしてこなかった。

小さい頃から、いつも親や兄弟、祖父母に囲まれ、一人の時間を持つことが少なかった。学校に通うようになると、毎日、友達と一緒。それに当時の日本は、一人でいること自体が、「根暗」と言われ、孤独こそが、最も悪いものとされていた。

さらに悪いことに、20代、海外に行って、そこに馴染んで生きていこうとしたばかりに、「外の世界に適応し過ぎて、自分の内面世界を置き去りにしてしまう」という、「グローバル人材シンドローム」に陥ってしまった。

「そうか、そうだったのか・・・」

その時、なぜ自分が、若い頃、日本を飛び出してしまったのかもわかった。
自分を「外への旅」に誘(いざな)ったのは、皮肉にも(Ironically)、自分の「内面世界」を持つための「内への旅」だったのだと。

*********************

昨今、若手〜30代世代の「グローバル人材育成」が叫ばれているけど、気をつけなくてはいけないことは、「外の世界」への適応技術に偏りすぎず、しっかりとした「内面世界」を育んでいくことではないでしょうか。

特に、すでに上の世代よりも遥かに深い「内面世界」を持つと感じる新世代(ニュー・ジェネレーション)が、どう21世紀の社会環境の中で、「内面世界」を育んでいけるか・・・それは、日本の伝統的な自己形成論をブレイクスルーさせるだけなく、もっと普遍的な、世界につながる可能性を秘めている、と思われる。

*********************

ヴィンチ村に戻り、ダ・ヴィンチ博物館を見学する。
そこにあったのは、彼が若い頃、デザインした精緻で科学的な発明品の数々。
恐らく当時、最先端の、突出した技術であっただろう。
その時は、つながらなかった。
(あの生家で育った彼=これらを発明した彼?・・・)

けれど、最近、リーダーシップ研修の一環で、未来ビジョン語りを聞いていて、気づいた。この世界で具現化したい「世界観」は、その人が持つ「内面世界」のプロジェクション(投影)でしかないことを・・・

もしかしたら、この世界のイノベーションとは、深い「内面世界」を持ちえた時に起きる、外の世界との共振のようなものかもしれない。

********************

ある日の事、
珍しく、自分が落ち込んでいたことがあった。
海外に来て、2ヶ月目、
ちょっとしたホームシックだったのだろうか?・・・
それとも、その環境、その仕事に馴染むために、<自分の感情を押し殺して>、<仕事は仕事と割り切って>、生きようとしていたのだろうか・・・

その時、同僚の一人が、「ハーイ」、
そう言って声を掛けて来た。

なぜかわからないけど、一瞬にして、氷解した。

今も思う。もし、その一言がなければ、今でも、自分は、ただのビジネスマシーンとして生きていたのかもしれない。

*********************

ダ・ヴィンチ博物館を出て、素晴らしく美味しい昼食を取った後、帰路につく。
誰もいないバス停、30分待ってもバスが来る気配がない。

そこに、まるで中世の世界からやってきたような老婆(おばあさん)がやってくる。
「ここに来るバスはエンポリ駅まで行きますか?」、そう英語で声を掛けると、突然、堰を切ったような返事が返ってくる。全部イタリア語で。

全くわからないけれど、彼女のボディランゲージから、「たぶん、間違っていないだろう」、という確信を持つ。「ありがとうございます」、そう英語でお礼を言う。
けれど、なぜか、そのダ・ヴィンチ村のおばあさんの語りはとまらない。全部イタリア語で、楽しそうに語りかけてくる。

本当のグローバル人材とは、極めてエキゾチックな「内面世界」を持った人々のことなのかもしれない。

*********************

深い「内面世界」を持つ人との出会い。
深い「内面世界」でつながった時の感動。

若い新世代(ニュー・ジェネレーション)の人達にも、その感動を味わって欲しい。

その感動の連鎖が、21世紀のルネッサンスを生むから。
いや、その感動の連鎖こそが、誰かを暗闇から救う事が出来るから。

だから、この世界の誰かに、声を掛けて欲しい、
「ハーイ」の一言でいいから --

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑩ 2015年8月14日

10.インサイドハート

我々は、小さい頃から、いろいろな教育を受ける。
それは大人になっても変わらない。

そのすべてが悪いとは思わないけど、
その中で大切なことを見失ってしまうリスクがある。

その一つが、「自分の感情を感じる力」。

************************

かつて、「感情」(Emotion)は、悪しきものとされた。

それは、理性的であるべき人間を惑わすもの。
それは、動物から神へと近づくべき人間を迷わすもの。
それは、マス・プロダクション(大量生産)の生産性を狂わすもの。
それは、プロフェッショナルの正確無比な判断を誤らせるもの。

「感情を抑えろ!」
「理性的になれ!」
「合理的になれ!」、エトセトラ。

それ自体、間違ってはいないのかもしれないけど・・・

同時に大切なものまで、失ってないですか?

************************

感情を感じる脳は「感情脳」。
大脳のド真ん中にある。
人間が原始時代から持っていた脳。
それは、言語能力を持たない脳。

と、いうことは?・・・・
1)感情を感情のままに感じる力を持つこと、
2)その感情を「言葉」という感情記号に変換する力を持つこと、
少なくとも、その2つが必要になる。

言い換えれば、
自分の感情を素直に感じる力。
その奥にある感情を感知する力。
さらにその奥にある潜在意識(Sub-Conscious)にある感情を探求する力。

自分の本当の気持ちに気づく力?
本当の自分と出会う力?

自分とつながる力。

************************

そのために大事な事は、
「心のシナプス」をつくること。

いわば、「感情の導線」を引く作業。
それがなくては、「やる気スイッチ」を押しても、エネルギ--が通らない。
真に、ワクワク感やイキイキ感を感じることが出来ない。

いや、そもそも、自分の「やる気スイッチの源」を探りに行けない。

それが、頭の脳の中にあるのか、
第2の脳と言われる腸(Gut-brain)の中にあるのか、それとも、
心の中(インサイドハート)にあるのかはわからない。

けど、誰もが「心のシナプス」を作れる。
ちょっとした訓練さえすれば。
ちょっとしたきっかけさえあれば。

************************

海外でも国内でも、21世紀の新世代(ニュー・ジェネレーション)が圧倒的に優れていると感じるのが、「自分の心と響き合う力」。

勿論、それが元々、得意な人も苦手な人もいる。
もしかしたら、教育や社会環境、経験や価値観が大きく影響し、「感情を素直に感じる力」を封印。鞄の底に押し籠めてきただけなのかも知れない、

けれど、多くの若者に共通していることは、それを誤魔化さずに「響き合う感覚」にまで徹底しようとしていること。「響き合う感覚」のその先の世界に向かおうとしている。

その姿勢と努力において、日本の若者が、世界を圧倒している(特に20代〜30代前半)。だからこそ、この世界の(グローバルの)リーダーとしての可能性に満ち溢れている。そう感じるのは筆者だけ、かな?

************************

「心のシナプス」を作ることは、誰にでも出来ること。

たぶん、誰にでも・・・

たぶん、筆者にも・・・

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑨ 2015年7月17日

9.君島、まんが、いきなり世界だよ(急)

≪前回より続く≫

「映画のようなワンシーン」

東京の地下鉄はその正確性で有名だけど、だからと言って、海外の地下鉄で起きる偶然のハプニングも悪くない。

その日、ロンドンの地下鉄は1時間近く立ち往生した。
初夏の金曜日、
夕方のラッシュアワー、
オリンピック準備のためという車内アナウンス。
でも、さすがロンドンっ子、
皆、何事も起きていないかの如く、
手持ちの本やキンドルに集中している。

ようやく動きだし、
ウインブルドン・パーク駅(※参照)に到着する。
と同時に、一斉に降りた乗客が、駅の階段を駆け登る、
いつもより小走りで。

その時、群衆の中を一人の男性が、駆け上がっていった。
恐らく20代後半、金融街で働く真面目そうな紳士。
彼が通り過ぎる際、なぜか、ふと目が合う、
0コンマ数秒で交わす無言の挨拶。

階段を上りきり、小さな改札を抜ける。
テニスの大会前の、いつも静かな駅、
初夏の空は、もう群青色に染まっている。

いつものように駅を出てすぐ左折する。
っと、その瞬間、
(???)
先ほどの若い紳士が、かがんでいた。
見ると、彼の目の先には大きな毛並みの良い犬。
(!)
その数メートル後ろ、
シャッターが降りた駅の売店の片隅には、
憂いに満ちたアンニュイな女性。
二人?を見て、
安堵の笑みを浮かべる。

時間が止まったように感じた瞬間、
そこにいっさい、言葉はなかった、
ただミュージックだけが流れていた。

************************

いつからだろう?

言葉こそがコミュニケーションだと思い込んでいた。
言葉にして伝えることが、異文化を越える、グローバル・コミュニケーションだと思い込んでいた。
もしかしたら、そう思い込むことで、この世界で楽に生きようとしていたのかもしれない。

「そうだったのか・・・」

ウインブルドンの丘を登る坂道、仰いだ夜空に青い月が輝いていた。

*************************

最近、日本企業のグローバル研修をしていて、一つの変化に気づいた。

かつては、「カルチュアの違い」がコミュニケーション・ギャップの理由、或いはエクスキューズとなる傾向が強かった。今でも、ある世代以上になると、日本人、外国人を問わず、その傾向は強い。

ただそれが、新世代になると「ジェネレーションの違い」に移る。

「文化の違いですか??」
「・・・うーん、あまり気になりませんね」
「それより問題は、世代の違いです」
「上の世代は、私たちの世代を理解していない」
「にも関わらず、自分たちの旧いマネジメントを押し付けてくるんです」
「育った環境が違うのに、経済環境も、グローバルも、インターネットも・・」
「それに人生の価値観も違う」。

*************************

今から10年後、世界の労働人口の75%、4人に3人が、「ミレニアル世代」と呼ばれる1980年〜2000年に生まれた人々で占められる(現在は15歳〜35歳→10年後は25歳〜45歳)。

既に多くの海外企業が、その世代を意識したマーケティングを開始。同時に、人類史上、最もクリエイティブと言われるその世代を活かすため、様々なマネジメントの取り組みが始められている。

一方、日本では、10年後のミレニアル比率は36%、約3人に1人強になる。世界平均の半分以下、国内でも圧倒的なマイナリティであるせいか、本来、金の卵として扱われてもおかしくない、彼ら彼女たちに対する取り組みは、一部の先進企業でしか取り組まれていない。

5年後、10年後、世界で仕事するための準備、できていますか?

************************

かつて、グローバルは、本国で売れたものを、段階的、国別に「外国」に持っていくことだった。
けれど今、グローバルは、「いきなり世界」の時代。

当然、グローバルにおけるリーダーの考え方も変わってくる。

以前、「グローバル・リーダー」とは、「資本主義xグローバル化xネットワーク化」で生まれる<新しい秩序>や<システム側>のリーダーとなっていくことを意味した。

けれど、近年は、逆に、巨人化するグローバル資本主義の中で生まれる歪みや格差、超管理社会(ディストピア)化が進む中で叫ぶ誰かの声に応えるために<マルチチュード側>や<社会起業家的>なリーダーになることが、特に若い世代を中心に、広まった。

これからは、その近代的二項対立を越え、<両者をつなぐ立ち場>のリーダーが必要になってくるのかもしれない。その立ち場に、世界で最も一番近い位置にいるのが、日本の新世代(ニュー・ジェネレーションズ)。年齢に関わらず、その可能性を持った人々に出会う機会が増えた。

いずれの選択にしても、これからのグローバル・リーダーに求められる要件は、『文化や世代を越えるコミュニケーション力』。

それは、討論や多数決で片をつけるようなモダン(前世紀的)なコミュニケーションではない。ましてや軍事力や権力を背景にした交渉や圧力でもない。

もっと人間的なダイアローグ。
多様な世界だからこそ覚醒される、言葉を越えた五感のダイアローグ(ミュージック)。

************************

小学校4年生が終わった春休み。
担任の盛岡先生の田舎に、クラスのみんなで遊びに行った。
神戸からローカル線に揺られて1~2時間。
そこは、まるで、まんが日本むかし話で見たような山里。
先生のご実家でお昼をご馳走になった後、近くのお寺でドロケイをした。

楽しかった。
夢中だった。

あの時、まだ知らなかった、未来が想像を越えていくことを、
・・・数えきれない偶然(Happenings)こそが、人生の必然(Constellation)であったという運命(Fortune)を。

*************************

もしかしたら、21世紀、「この世界のリーダー(グローバル・リーダー)」とは、国境の壁(Border)を越えていける人ではなく、自分の運命だと思っていた運命(Border)を越えていける人なのかもしれない。

もし、この世界の誰もが、運命(Border)を越え、運命(Fortune)とつながれるのだとしたら・・・21世紀の現実が、まんがの世界を越えていく、のかな。

「君島、おまえ、間違ってなかったかもな」


≪シリーズ一部完結≫

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑧ 2014年9月17日

8.君島、MANGAいいかもよ (破)

≪前回より続く≫

「あれが、デネブ、アルタイル、ベガ」
それは中学2年生の時だった。

なぜか陸上部の夏合宿に参加した。
最終日の前夜、突如、誰かが、
「湖まで行こう」と言い出す。

(おい、本気かよ・・)
(先生に見つかったらどうすんだよ・・)
(何分歩くんだよ・・)
(それに、外は真っ暗だよ、怖くねえか・・)
(・・・)

「よしっ、行こうぜ!」。

2年生だけ5〜6名で、合宿所を抜け出す。
長野の高原の真っ暗な畔道を歩く。
「お〜怖え〜、オレ、帰るよ〜」、慎重な田中君が叫ぶ。
「おー帰れよー」・・・田中君、帰れるはずもなく。

どのくらい歩いたのだろう、
「おー着いたぞー!」
駆け足で、水辺まで走る。

そして、仰向けに転んだ瞬間、
(ウヮァー)
空から星が降ってきた。

「あっ、夏の大三角形が見えるぞ!」、誰かが叫ぶ。
(えっ、どれ、どれ?)
「あれだよ、あれ、あれ、あれ!」
(あれが、デネブ、アルタイル、ベガ・・・)。

その後、いろいろな場所で、いろいろな星空を見たけれど、
あの時のセンセーションは、忘れられない。

*************************

先日、ある若手中堅向けのリーダーシップ研修でのこと。
受講者全員が、自分らしい(自分固有の、最近グローバルで言われるところのオーセンティックな)リーダーシップを発揮した経験を振り返る。その後、「もし、今、それを発揮できないていないとすれば・・・それは、なぜ?」という議論をする。

そこで見えてきたのは、
「失敗が怖い」、
「周りに同調されなかったら恥ずかしい」、
「経験が(失敗経験が)、邪魔をする」、
という、ためらい、でも、

「自分に期待されているかがわからない」、
「自分は、そういうポジション(立ち位置)ではない」、
という、まよい、でもなく、

「言い出しっぺが損をする」、
「リスクを取ってやった人たちが損をしている」、
「評価されない、報われない」、
という、一見かしこい、合理的な判断、でもない。

では、いったい何が、彼ら彼女たちのリーダーシップを束縛しているのだろう?

*************************

最近ふと気づいた、「この世界」の意味合いが世代によって違うことに。

ある世代以上になれば、「この世界」といえば海外やグローバルといった地球規模的な『空間』を指していた。「世界で戦う」、「世界で勝つ」、「世界で勝ち続ける」、「世界で生き残る」、エトセトラ。

それが、新世代(ニュー・ジェネレーションズ)になると、空間が自分の半径内に狭まる代わりに、時間軸が一気に広がる。過去の延長線上にはない『不連続な未来』へと。「この世界は、不確実で不透明」、「割り切れない、この世界だけど」、「迷い苦しんでも、自分たちで選び取った、この世界だから」、「僕たちは、この世界で生きていく」・・・

そこにあるのは、未来に対する不安や恐れ。そして、「そんな時代に生まれてしまった」というアンフォーチュネートな(不運な)運命へのあきらめ感。それは、日本の若者だけでなく、欧州をはじめとした21世紀の多くの先進国の若者に共通する感覚なのかもしれない (Loads loads loads of things are going in life)。

けれど、ニュー・ジェネレーションズに特徴的なことは、その諦念を裏返し、不思議な明るさで戻ってくることだ。「未来は不連続だけど、この世界で生きていこう。(迷い苦しんでいるのは)ひとりじゃない、力を合わせて」と。

そこにあるのは、世代間での対立でもなければ、社会階層間の闘争でもない。格差への剥き出しの怒りでもなければ、運命への嘆きでもない。ただ、静かな哀しみと覚悟。

そこに、日本の新世代が持つ、「この世界」のリーダーとしてのクールさがある。
21世紀のグローバルリーダーとしての突出した可能性と未来がある。

*************************

もし、一部の若手や中堅のリーダーシップを束縛しているモノがあるとすれば、それは、「本来の自分とつながれていない感覚」なのかもしれない。

その部分をないがしろにして、ただ企業側が求める物差しを、リーダー要件や役割基準として押しつけても、真のリーダーシップは覚醒しない。・・「役割ばかりにとらわれて、本当は何をしたいの?」。

90年代(ナインティーズ)に流行った、目標管理や評価に基づく誘因(外発的動機づけ)を、仕組みとして押しつけても、もはや時代遅れ。・・「目標ばかりにとらわれて、大事な気持ち、置き去りにしていない?」。

忙しいけど、心のチューニング。

*************************

あの夏の夜、突如、湖上にあらわれた星空。

もしかしたら、「星空というものは、目指すものでなく、一緒に見上げるものだ」と悟った時、人は、他者(お互い)に対しても、地球に対しても、やさしくなれるのかもしれない。

だとしたら、21世紀のルネッサンスは、地球の重力に魂を縛られたまま起きる、のかな。

君島、やっぱ、MANGA、悪くないかもよ -
≪次号に続く≫

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑦ 2014年5月21日

7.君島、漫画ダメなんだってよ(序)

『先生、僕、反対です・・・』
グローバルリーダー育成や開発という言葉を聞いて、最近思い出したエピソードがある。

それは小学校4年生の時のこと。
ホームルーム(生徒主導の話し合い)の時間だった。
それが終わればすぐ放課後。
校庭でドッチボールができる。
(こころの声:ダッシュして校庭の良い場所をおさえなければ・・)。

その日の議題は、「学校に漫画を持ってきてよいか?」だった。
いわゆる少年ジャンプやマガジンなど、日本人男児にとってのバイブルの書。
学校に持ってきて回し読みするのが習慣になっていたけど、「学校に持ってきてはいけないのでは」という提案。

案の定、少し白熱した議論の後に「多数決で決めよう」となる。
ホームルーム係が賛否を問う。
「反対の人、いますか?」
数名反対。
(ドッチボール早くしようぜ)。

それを見ていた先生が、
「話し合いを続けなさい」。
(えっ?)

30分ほど議論の後、もう一回。
「反対の人、いますか?」。
予想はゼロ。
と、「先生、僕、反対です!」
(えっー?)。

振り向くと、君島君(仮名)。
(えっー??)。

(君島、どうした・・?)。
ごく普通な(?)君島君。
特にグレてる少年だったわけでも、理屈っぽい奴だったわけでもない。
特に、漫画好き、オタク(当時はない言葉)であったということもない。
(おい、どうした君島・・・??)。

と突然、先生が、すくっと立ち上がる。
「みんなで、ゆっくり君島の話を聞こう」。
(えっー?、えっー?)。

(先生言ったじゃん、民主主義は多数決だって・・・)、
(民主主義が一番いいんじゃないの、議論と多数決で決めるんじゃないの・・・)、
(君島、ドッチボール・・・)。

毎日、一緒にドッチボールをしてくれる先生。
学生時代、卓球で国体に出たほどの選手で、若くて熱血漢。
いつも明るく笑顔で、生徒にも大人気だった。

でも、その時は、先生の表情が違った。

真剣なまなざしで、君島君の話を聞き出そうとする。
あまりの迫力に、教室中がシーンとなる。
不思議な熱を帯びてくる。

だんだん君島君には、抵抗するロジック(理屈)なくなってきている気がするけど、先生は終えようとしない。
沈黙の時間だけが流れる。
終わらないホームルーム。

「先生、いったい何を伝えたいの・・・」。

そんなモヤモヤ感だけが残った。
強く深く、心に残った。

*************************

20世紀は、全体主義と競争(バトルロワイヤル)の時代だった。

第一次世界大戦に始まるその世紀には、二度の世界大戦の他、冷戦があり、多くの民族紛争があった。東西様々な主義(イデオロギー)が出現したが、いずれも、多数派が少数派を圧する(あるいは、強者が弱者を圧する)という点において類似したものだった。
それが近代化における文明化(シビリゼーション)の一側面。

90年代(ナインティーズ)に入ると、その主戦場(バトルフィールド)は資本主義社会(マーケット)へと移行する。

その中で始まったグローバルなサバイバル・ゲーム。

*************************

昨今、日本において、グローバルリーダーに関する議論がある。
「グローバルリーダーとはどういう人?」、
「どうやって育てるの?」。

ここ20数年来の、いわゆるナインティーズ・パラダイムを簡単に(筆者流に)要約すると、
「リーダーとは、開発するもの」。
「①競争(コンペチション)を煽って、②トップ10%(上位一割のタレント)を選抜、③特別なトレーニングをあてがい、④2〜3年サイクルで修羅場体験を与え続け、④バトルロワイヤルを重ねていけば、戦略的なリーダーが育つ!」。
「その仕組み(タレント・マネジメネント・システム)さえあれば、グローバルな時代になっても大丈夫。電化製品やビジネスマシーン同様、グローバルリーダーを大量生産できる」。
「リーダーシップ・パイプラインだ!、タレントマネジメントだ!」、
「よっしゃ、クローン大戦を仕掛けろ!」、
「レッツ世界征服だ〜♪」・・・・・・

それが、グローバル?
この世界のリーダー??????
《次回に続く》


佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑥ 2014年3月5日

6.今、現に、動かすもの

『理由ですか?・・・・』
数年前のこと。
今、流行のリバース・メンタリングではないが、
ある若者からとても大切な事を教わった。

それは、通っていたスポーツクラブでのこと。
「お笑い」を目指しながら、修行と貯金を兼ねて働いているという新人トレイナーさん。
まだ、現場に出て二週間足らずというのに、落ち着いた働きぶり。
何より真摯なスタンスが、動きや言葉のはしばしに現れている。
トレーニング後、感銘を受けたので訊いてみた。
「どうしてお笑いを目指そうと思ったのですか?」
すると、ムッとしたまま押し黙ってしまった。
けれど、彼の横顔は語っていた。
「やりたいことに理由なんてあるのですか?必要なんですか?」と。

*************************

いつからだろう?
われわれは、明確な理由を求められるようになった。
「なぜ?」、「その理由は?」、「その目的は?」、「なぜを5回考えて?」、etc....

そして、それに対して尤(もっと)もらしい答えを述べることが「賢い」とされ、その答えが経済的、合理的にメイクセンスすればするほど「頭がイイ」とされた。

けれど、21世紀も、それでいいのでしょうか?

*************************

近代社会の産業化(Industrialization)の過程で、因果律的世界観が広がっていった。
物事にはすべて原因と結果があり、人間の行為や判断もすべてその構図(Cause)の中で処理できるもの、しなくてはいけないもの、という人間観が助長されていった。
そうしないと、産業化を進めるための人間の組織化が進まないから?大規模生産システムの中に組み込めないから?

21世紀、未来はますます不確実性が高まる。
その中で、旧来型の人間観、世界観に基づく組織づくりでよいのでしょうか?

*************************

振り返って見てください、
本気で夢中になった時のことを。
子供時代、日が暮れるまで友達と遊んでいた時のことを、或いは、
青春時代、時が経つのがあっという間だった日のことを、或いは、
新人時代、チームで遅くまで議論し、翌朝のプレゼン資料を作っていた時のことを。

理由(Reason)なんて考えたこと、ありましたか?
やるための根拠(Rationale)なんて、考えていましたか?

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でも、もしかしたら、グローバルの時代、「理由」を訊かれるかもしれない。「理由」や「根拠」の説明を求められるかもしれない。
「なぜそうするのですか?」
「目標は何ですか?」
「何を達成しようとしているのですか?」

その時に大事なことは、何でしょうか?
「頭」で答えること?
「心」で答えること?

「頭」を使えば、プライドや固定観念(思い込み・偏見)に左右される?
「心」を使えば、心の壁に邪魔される?

ならば、「何」で応えるのか?

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ある時、気づいた。
人生には3つの笑顔(Smile)があることを。

楽しい時の笑顔、
面白い時の笑顔、そして、
無意識で出る笑顔。

中でも「無意識で出る笑顔」がイチバン。

*************************

21世紀のルネサンスにとって大事なことは、「無意識で出る笑顔」を世界中の人々に届け、共有していくこと。

だとしたら、そのための働き方や人間同士の関係性、リーダーシップのあり方なんかを考え直さなくてはいけない。その奥にある労働観や組織観、世界観や人間観までも問い直さなくていけない。直感的かつ論理的に:)。

それを可能にするのは、旧来の20世紀型オールド・パラダイムに冒されていない若者たち。ニッポンだけではない、世界中にそうした若者たちがいる。いや、誰もがその可能性を秘めている。

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だから、問いかけて欲しい、
「今、現に、あなたを動かしているものは何か?」を。
「あなたを無意識の笑顔にさせるものは何か?」を。

人は、生きる理由(It maybe the reason I survive)を見つけた時に、はじめて気づくのかもしれない。
「言葉にならない理由」(It's there)こそが、世界の扉を開ける「魔法のおまじない」(It's the magic word)であったことを


*************************

現代は、自分に対して素直であることが、とても難しい時代。
そもそも「素の自分」なんていないのかもと思うくらい、忙しい(Busy)。

人は、どうすれば、「素の自分」とつながれるのだろ?

なぜ、に対する問題解決力をつけること?
論理的で、分析的な思考を学ぶこと?
それとも・・・

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」⑤ 2013年10月16日

5. 1/7000000000の奇跡

『ナイス・ツー・ミーツ・ユー!』
中学時代に「How do you do」と習ったはずの挨拶の言葉を、はじめて海外で使ったのは、大学時代の事であった。最初、握手をするタイミングが、今一つわからなかった。小学生時代から左手はダメで右手で握手というのは知っていたけれども(侍ジャイアンツを見て)、どの間合いで、どのスピードで、どのくらいの強さでかがわからない。
数年後、南カリフォルニアの英語学校に遊学した時、いつの間にかそれを気にしていない自分に気づいた。新しく(これまでの自分の世界にはいなかった)人達と会うのが楽しくて仕方なかったから。外国人の友達も出来たから。いや、もしかしたら、その瞬間に訪れるケミストリーのようなものを感じ取れるようになったからかもしれない。

『不思議だね・・・』
小学生の時、一番の親友はミャンマー(当時はビルマと呼んでいた)と日本人のハーフの同級生だった。港町神戸の隣町とは言え、比較的保守的(Conservative)で、外国人を見かけることも少ない。毎日、一緒に通学していると、他のクラスの生徒からよくからかわれた。最初はよく彼らとも喧嘩していたけど、気づいたら、いつの間にかみんな仲良くなっていた。
そんなある日、彼が一ヶ月近く断食をしているのを知った。給食で食べられないものがあるのは知っていたけど、断食というイスラムの慣習を始めて知った。筆者にとって、余程衝撃だったのだろう、それを聞いたときの時の通学路の風景を今でも鮮明に憶えている。「なんで?」、「わからない」、「ふーん」・・・「不思議だね?」。彼はそれに答えず、珍しく二人黙ったまま一緒に歩いた。

**************

2013年現在、世界の人口は、70億を越える(国連統計)。
東京オリンピックがある7年後には、77億(10%アップ)、
21世紀半ばの2050年には、92億(30%アップ)、
50年後の2062年前後には、100億を超えると推定されている。

イギリスで産業革命が起きた1800年前後は、10億、
20世紀がはじまった1900年前後は、20億だから、
有史以来、ここ200年の急激な伸びは凄い。

今でも、1分で137人、1日に20万人の新しい命が誕生しているという。

21世紀、それを知ったわたし達は何をするべきなのでしょうか?

戦争すること?
原発を貧しい国に売って金儲けすること?
それとも・・・

**************

今、世界で誰かに出会う確率は、たったの70億分の1。
そんな運命のいたずらを、偶然と考えるか必然と考えるかは、自分次第。
たった一瞬の握手や名刺交換だけど、その瞬間に感じる何かがある。

人間(或いは全ての生物)に備わった特殊な能力(スペック)で、上手く説明するロジック(理屈)はないけど。

*************

かつて日本人は、同じ仲間と、同じ釜の飯を何年も共にすることで、コミュニティを作っていった。昭和期のかつて、三種の神器と言われた雇用システムも、人間同士の関係性を築く上で、ある程度の「時間軸」を必要とした。
それは日本人だけではない。
原始以来、恐らく、ほとんどの民族が、そうした「時間軸」の上でスローリーに関係性を築いていった。人口の伸びも、空間的な広がり感も、それをと歩調を合わせていた。
しかし、21世紀、前提は変わる。空間軸だけでなく時間軸も。

その時、大事になってくるのは、一瞬の出会いの中で、関係性を築いていく能力(スペック)。

昨今、グローバルの世界で、シンクロニシティやセレンディピティと言われるコンセプトと相関するのかもしれない。それは決して特殊なものでなく、誰もが当たり前に持っている能力。

*************

今後の世界人口の伸びを見ると、
まずインドが急速に伸びた後、アフリカ大陸の人口が爆発的に増えていく。

日本企業は、そのことを、どれだけ視野に入れて布石(ふせき)を打っているだろう?
その人達のことを考えて、どれだけ自分たちの技術やリソース、知識や知恵を活かそうとしているだろう?

昨年、ロンドンでタクシーに乗ったとき、アフリカから移民したという運転手さんと話す機会を持った。聞くと、彼の母国では、中国資本の企業がたくさんあり、中国系企業のマネジメントが大きな話題になるという。
とても興味深い話を聞いた後、「ジャパニーズ・マネジメントはどうですか?」と聞いてみた。若いその運転手さんは、一瞬、怪訝な顔をした後、「知らない」と素っ気なく答えた。

*************

グローバル化する世界の中で、恐らく人間が持つスペックは進化していくだろう。或いは、原始時代のレベルに回帰していくだろう。その進化の中で、人間同士の関係性が生み出すケミストリー(化学反応)が、21世紀のルネッサンスを更に進化させる。

だから、すべての"Nice to meet you"を大切に --
その瞬間の感動を大切に


佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」④ 2013年10月16日

4.みんな、なにげにガンバっているから

『最近、褒めてあげたことないですね・・・』
日本企業のマネージャーさんたちの声。
「部下とのコミュニケーションですか?」、「いやー最近、時間が無くて」、「次から次にトラブルが起きるんですよ」、「一応、毎月チームミーティングはしていますが」、「目先のことに追われていて」、「指示は出してますが、フォロースルーはできていなくて」。「え、褒めたこと、ですか?うーん、ないですね」、「逆に叱ってばかりですよ」・・・

『ねぎらいの言葉ひとつでも、いいんです』
日本企業の若いスタッフさんたちの声。
「え、褒めてもらったことですか?・・・」、「うーん、最近ないですね」、「別に褒めてもらわなくてもいいんですけど」、「自分、がんばっているとは思わないし」、「ただ現場でがんばっている他の人たちには、もう少し上は気を配ってあげても」、「みんな大変な中でも頑張っているので」、「"ねぎらいの言葉"一つでもいいんです」・・・

最近、周りの人に、"ねぎらいの言葉"をかけたこと、ありますか?

なにげに頑張っている人に
なぜかいつも忙しい人に
現場で汗かいて働いている人に
大事な仕事で苦労している人に
最近、昇進した人に
たった一言でも・・・

********************************

20世紀は、「近代合理主義」が花咲いた時代であった。
「経済的、合理的、効率的」であること。それを追求することこそ、理知的であり、洗練であり、近代化された文明国の市民精神である。それこそが、資本主義社会のよって立つ精神であり、「運命はあらかじめ決められている」という思想的呪縛にある中で、「神様のご褒美」を求める人間を救済する美徳となっていった。

日本においても、その精神は、戦後、「近代合理主義」という美名のもとに奨励され、「合理的であること=善」、昭和後期の一つの絶対価値とされていった。

果たせるかな、「近代合理主義」の過度の追求は、いつの間にか、人間をリソースやキャピタルといった物質(マテリアル)へと貶(おとし)め、細分化&標準化されたシステムの中で、神様のご褒美(マネー)を求めて働くビジネス・マシーン(歯車、アンドロイド)へと仕立て上げていった。最近、多くの日本企業の方々をインタビューをしていて感じる、「近代合理主義」の呪縛。

人間を、人間疎外(ニヒリズム)から救済しようとした思想が、逆に人間を疎外するというパラドックス。

勿論、「褒めたり、ねぎらったり」という行為が、業績アップに貢献するというサイエンスはない。
それを実証するデータもシステムもない。もしかしたら、そんな「非合理的」な事をしている暇があったら、リソース(社員)を業務に集中させ、生産性をアップした方がよいのかもしれない。
けれど、21世紀も、それでいいのでしょうか?

********************************

かつて、海外で働いているとき、若い世代の同僚が持つ、繊細な気遣いに驚かされた。誰かが、ちょっとでも気を落としていると、「ハーイ」、「オーライ?」と、とても細やかな表情で、声を掛け合っていた。時に、ちょっとした態度や仕草で、声に出さずとも、お互いをケアしあっていた。

振り返れば、昔、海外日系企業の方達とお仕事をさせていただいた時も、そんな細やかな気遣いできる方々で溢れていた。

今日、急速にグローバル化する日本ですが、そうしたヒューマンな部分を、どれだけ海外で発揮できているのでしょうか?

********************************

先月の事。
徹夜明けで疲れ切った同僚が、一仕事を追え、残業をしていると、別のチームの若いスタッフが、何気なくお菓子の差し入れをしに来た。さりげなく、なにげなく。

なぜだろう?

今のニッポンの若者たちには、昔の(今の70歳以上)の日本人が持っていた「気遣い」や「繊細さ」、人間的な「潤い感(ウエット感)」がある。それを表現するのが抜群に上手な子もいれば、そうでない子もいる。けど、みんな、お互いへのケアができ、無言(サイレンス)で伝えるコミュニケーション能力も備わっている。それは、海外で筆者が見た若者達にも通ずる。

21世紀の今日、「合理主義」と「ヒューマニズム」という矛盾してしまう思想を、何か東西の新しい概念で統一することできたら、「日本発21世紀のルネッサンス」は、もっと面白くなるかもしれない:-)

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ご褒美(ほうび)は、日本語で、「ほめて、うつくしい」と書く。
ほめて、与えること(Giving)。
ほめて、たたえること。
人間が、人間に対して行うもの。

人間だけが、お互いの明日の運勢を、昨日よりも少しよくすることができる。

だから、世界中のみんな(人間)に・・・
"Congratulation" -

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」③ 2013年9月24日

3.世界中からのハッピー・バースディ

先日、シンガポールのアジアヒューマンキャピタル・サミットに参加したときのこと。
シンガポールだけでなく、世界中から集まった500人を越えるセミナー出席者が、一斉にハッピー・バースディを歌うという機会があった。それをコンダクトするのは、ボストンフィルハーモニー管弦楽団の指揮者、ベンジャミン・ザンダー氏。

セミナー参加者の中から、誕生日が一番近い一人が選ばれる(恐らく20代後半の女性)。

1回目の合唱の後・・・
指揮を取るザンダー氏から、「どこが一番、大事だと思う?」という質問。
「イエス、最終節の"to you"だよ、to yoUでなく、tO Youだよ!」

2回目の後・・・
「悪くない、けど、もっと上手にできるはず!」
「イエス。もっと体を使って。手を広げて!」
「最後の"tO You"で手を広げるんだ!」
「もっと、一歩足を踏み出して!」

そして、3回目・・・
彼の指揮どおり、最終節、500人全員が大きく手を広げ、彼女に向かって一歩踏みだし、"tO You"と大きな声で歌い終わる。
すると、その瞬間、
それまで、はにかみ笑いをしていた彼女の目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ始めた。

何だろう?
この衝撃は?

何だろう?
ザンダー氏が伝えたかったことは?

音楽や演劇が持つ文化(リベラル・アーツ)の力?
人間が持つ無限の可能性?
人間同士がつながった時の感動?
それとも、人は誰もが人間であるという、当たり前の真実?

***************************************

グローバル化が人類に突きつける試練の一つに、国や民族、人種や宗教といった違いをどう越えるかというテーマがある。

あくまで異国の人は異国の人というスタンスで対応する「異文化アプローチ」でいくのか?
それとも、「人間は基本的に同じ」というスタンスでいくのか?

ただ一つ言える事は、21世紀は、20世紀とは大きく違う、ということ。

交通手段が発達しただけでない。インターネットやスマホ、テレビという通信機器が飛躍的に進化していること(し続けていること)。その中で、語学の翻訳機能もアップ。自国にいながら世界中の「情報」を日々得ることも、世界中の人々と「コミュニケーション」することもできるようになってきた。
そのツールに乗って、それぞれの価値観や文化まで世界中を飛び交い、地球の裏側に住む人々とも共有できるようになった。

そのバーチャルな世界の交流は、もっとリアルな、もっとヒューマンな、人間同士のインタラクションにつながる。そのインタラクションは、人が持つ本能的なコミュニケーション能力を、飛躍的に高めていく。もしかしたら原始時代のレベル以上に・・・

そして、その帰結として、人は気づいていく。

***************************************

わたし達は、時に、グローバル化の歩みの中で、思わぬチャレンジに遭遇するかもしれない。20世紀には想像もしなかった世界を生きるのかもしれない。

けれど、21世紀、このグローバルな世界に生まれた幸運を、思いっきり、感謝して生きたい。

21世紀を生きるすべての人に・・・
Happy birth day "to you" -

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」② 2013年9月24日

2.ねえ君はもうグローバル以上

『一人にできないので、引き受けましたよ』
「我が社の人材育成のあり方を抜本的に変えたいんです」と言う若手人事マン達と飲んだときのこと。
「上の世代にもっと期待したい事は何ですか?」と訊いてみた。
「・・・うん、そうですね、仕事だけでなく、人生に関するお話をもっと聞きたいですね」
「・・・どうして?」
「いや、自分は週末、海外の学生を日本企業に紹介するグローバル・インターンシップのお手伝いをしているんですけど(目がイキイキ)」
「それって面白そう」
「面白いっすよ。前に、ある学生が来たとき、日本でのホームステイ先が手配されてなくて・・一人で放っておけなくて、引き受けましたよ(目に自信)」
「へえ」
「狭い自分の部屋で、背の高いアメリカ人だったから大変でしたけど(Smile)」

『でも、私たちはこう考えるのです』
あるグローバル企業の若手研修合宿でのこと。
入社3年目の若手が、過去2年間の経験を振り返り「自社らしさ」を語る。
なぜか謙虚でトーンも低い世代だけど、映像を使った目が醒めるプレゼンが続く。
そして、3つめのグループ。
先輩達のエピソードや心に響いた言葉が続いた後・・・
「我が社らしさって何だろう?」・・・
(客観的な(他人の)言葉や、キーワードが次々とスライドインされる)
「でも私たちはこう考えるんです・・・」
(少し間をおいて・・・バーン!)
「○○○(自分達のアンサー)!」
(メンバー全員、背筋の伸びたSpiritsある姿勢で)」

『思い、強いっすよ』
最近、シンガポールでサマー・インターンをしている日本人の学生たちにお会いした。
東大の大学院で「フクシマの放射能廃棄物の将来コスト」を研究しているという学生。
「就職は?」
「インフラ系がいいですね」
「それは、今の専攻から?それとも安定志向から?」
「もちろん、専攻からです!!」
(少し目に力が入り・・・)
「僕たちの世代、危機感あります。社会を変えたいって思い、強いっすよ(Shining Eyes)」

昨今、日本で盛んな「グローバル人材が足りない」という議論。

でも、その議論、もしかして旧くない?

かつては、海外で営業や交渉ができる人材はグローバル人材。
その後、工場や販社で自社のノウハウが伝えられる人材がグローバル人材。

でも、21世紀、もっといろんなグローバル人材がいてもいい。

今はもう手の中の携帯ひとつクリックすれば、世界とつながれる時代。
TOKYOの街は世界中のもので溢れている。
生まれた瞬間にグローバル、気づいたらグローバル。

もしかしたら、もうグローバルと無縁で生きる人生なんてないのかもしれない。
恐らくジャングルの奥地やアフリカの砂漠のど真ん中に行かないかぎり・・・それも、もしかしたら思いっきりグローバルかもしれないけれど。

もはや時代は、「グローバル人材になるか、ならないか?」(To be, or not to be)という選択肢を迫らない。

誰もがグローバル。みんながグローバル。

***************************************

それは、無常観を呼び起こした「3.11」のせい?
それとも、失われた20年を欧米より15年先に経験したせい?
それとも、上の世代が失敗と呼ぶ「明治パラダイムの敗戦」によって過去のドグマから解放されたせい?

今のニッポンの若者には、世界に先駆けた「突き抜け感」がある。
世界の若者が必要とする「力」を宿している。

だから、 - Just the way you are -
世界が待っている -

佐藤将 連載コラム「ニッポンが世界を元気にする」① 2013年8月26日

1.なんか不思議な渋谷クロッシング

『驚いた!この国の中ではすべてが順調にまわっている』
この二月、国際的な経営学者、ミンツバーグ教授(注1)が来日した際の発言です。
来日したのは十数年ぶり、日本企業を褒める際は、いつも70年代前後(約半世紀前)の事例(自動車会社H社がはじめてオートバイで米国進出した時の成功例)まで遡ってしまうという「親日家」の、思わずのコメント。

『なんなんだ、この街のエネルギーは・・』
昔、海外駐在から帰国したばかりの日本人の方々に、「久しぶりの東京の印象は?」とお伺いすると、「内向きですね。テンションが低い。向上心を感じない。通勤電車の人の目が輝いてない」。しかし、今、同じ質問を投げかけると、「街に活気がある。人が思いのほかハッピーそう。以前とは違う不思議なエネルギーに満ちている」。

『TOKYOのような場所を見たことがない』
最近、海外で仕事をすると「日本に来たことがある」「数ヶ月(時に数年)そこで働いていた」という外国人の方々に出会うことが増えた。面白いのは、「日本、どうでした?」とお伺いすると、年代によって答えが違う。50代以上の紳士(ジェントルな方々)になると、たいていお決まり文句、「京都はよかった、日本は皆、親切で、安全。大きなブッダもよかった(恐らく鎌倉大仏)、エトセトラ」。40代前後の人々は、なぜか微妙なミックスドな表情。しかし、それが、20代〜ティーンエイジャーになると、とてもポジティブ、「TOKYOのようなエキサイティングな場所は見たことない。あれや、これや・・(次から次へ日本人の想像を超える視点)」。

なぜだろう?

ビジネスにおいてグローバルを語る時、とかく視点が「がんばれジャパン」調である。
恐らく出発点が、「日本は遅れている」、「早く世界水準(スダンダード)に追い着かなくては」、「日本人はもっと主張しないと」、「日本の若者は内向き、アジアの若者と比べてもハングリーでない」、「海外のMBAが毎年行っている調査では、日本の競争力はこんなにも低くなり・・」。

よく言えば、叱咤激励(しったげきれい)的。悪く言えば、悲観的、自虐的、時に悲愴的ですらある。
それが明治以降のエートス? それとも敗戦世代のペーソス?

いまだグローバルが、20世紀の世界観で語られている。

***************************************

最近、外国人観光客に人気の、渋谷クロッシング(ハチ公前交差点)。

多くの日本の若者をはじめ、老若男女、様々な国から来た人々が一斉に渡りはじめ、交錯する瞬間。
多くの価値、文化、そして民族が一瞬にして溶け合う瞬間。
一見、混沌(Chaos)のように見えながら、整然と、それぞれがそれぞれの方向に向かって自然に歩む凝縮された空間。

その先には、もう真っ直ぐな道も、坂の上の雲も見えないけれど、それでも、不確実な未来を受け入れ、この世の生を肯定して歩み続けようとする人生観。

この世には、原発も地震もあり、世界は未だ民族紛争や宗教対立などメイクセンスしないことばかりだれど、それでも、その不条理を受け止め、自分たちの生に意味を持たせていくセンスメイクな生き方。

このオリエント(神秘の地)の東の果て、ゴー・ウエスト(夢の地)の西の果て、日本古来の文化と東西の文明が絡み合うこの交差点で、「なんか、おもしろい」(21世紀のルネッサンス)が生まれつつある
- Something going on -

みなさんも、機会(注2)があれば渡ってみてください。
21世紀の交差点を-

******************************************

本シリーズ「ニッポンが世界を元気にする」では、筆者の海外での経験と、新しい感覚を持った世界中の人々の視点を合わせ、日本人自身が気づいていない「ニッポンの大きな可能性(ポテンシャル)」と、その世界観から見えてくる「新しい日本のグローバル化のあり方と人材育成の方向性」を、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

佐藤 将

******************************************

(注1)ミンツバーグ教授の提唱する「マネージャーは実践を通じて育成されるべき」というコンセプトを発展させたのが、リフレクション・ラウンド・テーブル(内省と対話を通じた経験学習の深化と革新の場)である。
(注2)9月19日(木)16時〜18時、渋谷インフォスタワーでセミナーがございます。詳細はジェイフィールHPをご確認ください。

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