佐藤 将2014.05.21
7.君島、漫画ダメなんだってよ(序)
『先生、僕、反対です・・・』
グローバルリーダー育成や開発という言葉を聞いて、最近思い出したエピソードがある。
それは小学校4年生の時のこと。
ホームルーム(生徒主導の話し合い)の時間だった。
それが終わればすぐ放課後。
校庭でドッチボールができる。
(こころの声:ダッシュして校庭の良い場所をおさえなければ・・)。
その日の議題は、「学校に漫画を持ってきてよいか?」だった。
いわゆる少年ジャンプやマガジンなど、日本人男児にとってのバイブルの書。
学校に持ってきて回し読みするのが習慣になっていたけど、「学校に持ってきてはいけないのでは」という提案。
案の定、少し白熱した議論の後に「多数決で決めよう」となる。
ホームルーム係が賛否を問う。
「反対の人、いますか?」
数名反対。
(ドッチボール早くしようぜ)。
それを見ていた先生が、
「話し合いを続けなさい」。
(えっ?)
30分ほど議論の後、もう一回。
「反対の人、いますか?」。
予想はゼロ。
と、「先生、僕、反対です!」
(えっー?)。
振り向くと、君島君(仮名)。
(えっー??)。
(君島、どうした・・?)。
ごく普通な(?)君島君。
特にグレてる少年だったわけでも、理屈っぽい奴だったわけでもない。
特に、漫画好き、オタク(当時はない言葉)であったということもない。
(おい、どうした君島・・・??)。
と突然、先生が、すくっと立ち上がる。
「みんなで、ゆっくり君島の話を聞こう」。
(えっー?、えっー?)。
(先生言ったじゃん、民主主義は多数決だって・・・)、
(民主主義が一番いいんじゃないの、議論と多数決で決めるんじゃないの・・・)、
(君島、ドッチボール・・・)。
毎日、一緒にドッチボールをしてくれる先生。
学生時代、卓球で国体に出たほどの選手で、若くて熱血漢。
いつも明るく笑顔で、生徒にも大人気だった。
でも、その時は、先生の表情が違った。
真剣なまなざしで、君島君の話を聞き出そうとする。
あまりの迫力に、教室中がシーンとなる。
不思議な熱を帯びてくる。
だんだん君島君には、抵抗するロジック(理屈)なくなってきている気がするけど、先生は終えようとしない。
沈黙の時間だけが流れる。
終わらないホームルーム。
「先生、いったい何を伝えたいの・・・」。
そんなモヤモヤ感だけが残った。
強く深く、心に残った。
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20世紀は、全体主義と競争(バトルロワイヤル)の時代だった。
第一次世界大戦に始まるその世紀には、二度の世界大戦の他、冷戦があり、多くの民族紛争があった。東西様々な主義(イデオロギー)が出現したが、いずれも、多数派が少数派を圧する(あるいは、強者が弱者を圧する)という点において類似したものだった。
それが近代化における文明化(シビリゼーション)の一側面。
90年代(ナインティーズ)に入ると、その主戦場(バトルフィールド)は資本主義社会(マーケット)へと移行する。
その中で始まったグローバルなサバイバル・ゲーム。
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昨今、日本において、グローバルリーダーに関する議論がある。
「グローバルリーダーとはどういう人?」、
「どうやって育てるの?」。
ここ20数年来の、いわゆるナインティーズ・パラダイムを簡単に(筆者流に)要約すると、
「リーダーとは、開発するもの」。
「①競争(コンペチション)を煽って、②トップ10%(上位一割のタレント)を選抜、③特別なトレーニングをあてがい、④2〜3年サイクルで修羅場体験を与え続け、④バトルロワイヤルを重ねていけば、戦略的なリーダーが育つ!」。
「その仕組み(タレント・マネジメネント・システム)さえあれば、グローバルな時代になっても大丈夫。電化製品やビジネスマシーン同様、グローバルリーダーを大量生産できる」。
「リーダーシップ・パイプラインだ!、タレントマネジメントだ!」、
「よっしゃ、クローン大戦を仕掛けろ!」、
「レッツ世界征服だ〜♪」・・・・・・
それが、グローバル?
この世界のリーダー??????
《次回に続く》