小森谷 浩志2015.09.08
第6回
先日、新幹線が開通したばかりの金沢に行って来ました。
2つほど目的地がありました。
1つ目は、鈴木大拙館、
2つ目は、西田幾多郎記念哲学館でした。
大拙は、国際的な仏教哲学者であり、禅を広く海外に紹介した立役者※1。
一方、西田は、近代日本哲学者の最高峰と称される哲学者※2。
この日本を代表する二人の巨人は、
明治3年生まれの同級生で、同郷、無二の親友だったそうです。
西田幾多郎記念哲学館の展示室で、始めに迎えてくれるのが、
円相(禅僧が描く円で宇宙の真理、悟りの境地を表現している)の中に展開される、
「十牛図」。
そこでは西田の書簡が二つ紹介されていました。
ひとつは、哲学者田辺元に宛てたもの。
「禅を学ぶのであれば、まずは『十牛図』がよい」というもの。
もうひとつは親友大拙に宛てたもの。
「『十牛図』が手元にあったら貸して下さらぬか」というもの。
若い頃から参禅していた西田は、
『十牛図』を大切に位置づけていたことが伺えます。
その『十牛図』とは、どのようなものなのでしょうか?
十牛図では、その名前通り、十の絵図が展開されます。
そして、牧人と牛が登場します。
牧人と牛の物語の中では、「真の自分」がテーマです。
上田閑照は、「往々にして私達は自意識は過剰であるが自覚には乏しい」、
と警笛を鳴らします。
己の真のあり方を探求するのが、自覚宗教としての仏教の真骨頂です。
なぜ、われわれは現在において真の自己のあり方を探求する必要があるのでしょうか、
そして自己探求が必要だとして、どのように進めればいいのでしょうか、
次回は、十の絵図を一からひも解きつつ、
自己探求のWHYとHOWについて語って行きたいと思います。
※1
代表作として、『禅と日本文化』、『日本的霊性』があります。
個人的には、ちくま文庫の工藤澄子訳『禅』がお勧めです。
悟り、禅と仏教一般との関係、禅指導者の実際的方法といった章が並び、
禅を多面的に解き明かしてくれます。
訳者の工藤も南禅寺に本山僧堂に通参した大姉であることが、
文章に深みを与えているように思います。
※2
日本哲学の座標軸と評される『善の研究』が代表作。
その中で、善をどのように定義しているかというと、
「善とは自己の発展完成(self-realization)である」としています。
西洋の伝統を踏まえ、西洋的思考の枠組みそのものを問題とした本書は、
百年後の今日まで日本の哲学の座標軸(藤田正勝)と言われています。