高橋 克徳2022.04.27
本来つながっていたものが切り離されていくことを「分断」といいます。
同じ時間と場所を共有することで、つながっていると感じていたものが、そこに自分の主体的な意思がないことに気付く。
つながっていたのではなく、離れられなかっただけ。
そう思ったとき、初めて人は、何のためにこの仕事をしていくのか、何のためにこの会社で働くのかを真剣に考え始めます。
そもそも、皆さまの会社の社員は仕事とどうつながっているのでしょうか。
仕事は与えられるものであり、目の前のことをこなすことだと割り切っている人ばかりになってはいませんか。
逆に、仕事にやりがいや意味を感じ、自分なりの思いを持って、仕事に向き合っている人はどのくらい居ますか。
若い世代が「この仕事は何のためにやるんですか。この仕事を自分がやる意味はどこにあるんですか」と聞いてくることがあります。
この質問に対して、多くのマネジャーは「仕事はそういうものじゃない。意味がわからないことでもやるのが仕事だ」と返してしまいます。
こう言われて、彼らは納得し、仕事に前向きに取り組んでいくのでしょうか。本来は意味のない仕事などないはずです。
しかし、やり続けているうちに、それが単なる作業になっていて、そこに意味が見いだせないものも多くなっている。
そう考えると彼らの疑問は、改めてその仕事の意味や必要性を問い直すチャンスをくれていると思えないでしょうか。
同時に、見えなくなっている仕事と自分とのつながりを取り戻す必要もあります。
仕事の中で得られた小さな達成感、小さな喜び。でもそれに誰も気づいてくれない、良かったねと言ってくれない。
それが当たり前になると、自分でも達成感も喜びも感じられなくなります。
やがて、お客さんに「ありがとう」といわれても、心が動かなくなってしまいます。
そんな働き方から抜け出すために、お互いの小さな達成感、小さな喜びを出し合ってみる、つなぎ合わせてみる。そこにこの仕事の本当の意義が見えてくる。
そんな風に、一人ひとりが得ている小さな達成感や喜びを集めていくと、そこからこの仕事の意義が見えてくるのではないでしょうか。
もし見えてこなかったとしたら、本当に自分たちがやっていることは誰のために、何のためになっているのかを根幹から問い直してみてください。
誰かの幸せにつながらない仕事はやがて、必要とされなくなるでしょう。
諸説ありますが、昔は仕事とは書かず、為事と書いたそうです。
つまり、「しごと」とは「仕えること」ではなく「為すこと」、「誰かのために、何かを為すこと」。
自分たちの「仕事」を「為事」に置き換えたとき、人と「しごと」に強いつながりが生まれるのではないでしょうか。
※ 本コラムは、日本商工会議所会報2021年8月号への掲載文を加筆・修正したものです。