重光 直之2018.12.05
企業は何のためにあるのだろうか。もともとは、社会のニーズに応えるための資金をリスク分散しつつ集めたのが発端だが、市場経済の発展とともに、利益追求の色合いが強くなっていった。インターネットの普及はさらに過酷な競争環境を作りだし、世界最高の人材と技術を最安値のコストで調達することを目指して、ボーダーレス社会の到来だと叫ばれた。「企業は国家の垣根を超えた存在になるのか」、「世界に広がる囲い込み戦略はどこまで通用するのか」といった議論を、当時の選抜リーダー研修に参加していた人たちと行ったことを鮮明に覚えている(そして今、彼らは経営の中枢にいる)。
人と技術を自社で開発できない事態になると、高額報酬、M&Aによる囲い込みが加速され、マネーゲームの様相がさらに激化した。しかし、経済一辺倒となった動きは社会に歪みをもたらすようになり、現在はアメリカのトランプ政権に代表されるような国家主義が台頭してきている。都合の悪い情報をフェイクニュースだと喝破する姿勢に疑問を持たざるを得ないが、そうした彼をアメリカ国民が支持しているのも現実である。経済と国家の綱引きに揺り戻しが来たように見える。
こうした現象を、ミンツバーグ教授は、第1の柱(国家)でも、第2の柱(企業)でもなく、第3の柱である市民の動きでバランスをとっていく時代が来たと述べている。私が彼のビジネスパートナーになりたての頃、今から10年ほど前に、この話を熱っぽく語っていた。「ナオ、私たち市民は二度裏切られた。一度は国家(政治)に、二度目は企業(経済)に。これからは私たち市民が行動すべきである。私たちは、国民であり、企業人であり、同時に市民である」。当時の私には理解できなかったが、世界中に巻き起こる国家主義の動きが起こると、こうした視点で見ることができるようになった。政治の問題を政治によって解決しようとすると、分断を生み出すのかもしれない。経済競争が富の偏在と不祥事を起こしたのと同じように、政治の競争が激しくなると軍隊をもって解決しようという選択肢が現実的になってしまう。私たちはもっと賢くなっていいように思う。
では、市民が国家や企業を越える存在になるとはどういうことだろうか。私が所属しているNPO:World Theater Projectは教来石小織という一人の夢見る女性の小さな行動から始まった。カンボジアの子どもたちのに映画を届けたい。「映画は夢を見る力を育てる」という彼女の揺るがぬ信念に基づいて。
以来、活動は世界数か国に広がり、カンボジアでは現地に映画配達人を組織するようになった。国内でも、商業施設とタイアップして映画祭りを行ったり、農家と田んぼアートをつくって農業体験をしたり、新聞社を巻き込んで告知を広めたり、学生たちが知恵を出し合ってカンボジアの農村への映画を届けたりと、活動はメンバーの多様性とともに多岐にわたっている。さらに、権利フリーの優れた映画を作りたいという目標を立て、斎藤工さん、板谷由夏さんといった俳優たちの協力を得て、クラウドファインディングを用いて、今年実現した。世界中の映画祭にも出品された:ニューヨーク国際児童映画祭、シアトル国際映画祭、ロサンゼルス・アジアン・パシフィック映画祭、ショートショートフィルムフェスティバル&アジア、東京国際映画祭、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭、等。
こうした活動は映画をビジネスとして行っている企業(ジェイフィールの親会社アミューズも映画を制作しているが)のそれと酷似している。第2と第3の柱の境界線が見えなくなってきている。市民はインターネットの弊害に悩むだけではなく、その利便性を活かして、資金を集め、技術や情報を持った人を巻き込み、社会を良くしていくために大きな動きを作ることができるようになった。
東京・渋谷では、「渋谷をつなげる30人」という活動が進んでいる。行政の呼びかけによって、渋谷に居住する人、働く人、渋谷の企業が対等な関係で参加して、何をなすべきか、市民の視点から行政と企業のリソースを最大限に活かしていこうとしている。主役は行政でも企業でもなく、市民である。この動きは京都にも影響を及ぼし始めている。
こうした動きを見ると、企業も自社だけの論理で動くだけでは、早晩支持されなくなり、存在目的を失ってしまうだろう。何しろ、その企業に働いている人たちは、市民であるからだ。もともと、企業には社会に必要とされる創業の理念がある。その理念が社会に支持されたからこそ、今日(こんにち)存在している。過激な企業間競争に打ち勝つために何をするか?という視点も確かに必要だが、同時に、自分たちの存在意義、存在目的をもう一度見つめなおすことが求められている。外の世界を観つつ、自分を見つめる。人生100年時代を語るリンダ・グラットンが言う「内なる旅(内省すること)」と「外への旅(世界について知ること)」は、個人だけでなく、企業にも求められていることを痛感する。企業の競争相手は、企業だけでない。市民は脅威にもなり、頼もしい相棒にもなるだろう。
大きな変化の予兆はいつも、人知れずそっと身近なところで起きている。そして、ある時、突然大きな変化となって人を飲み込んでしまう。皆さんの近くにもきっと何かが起こっているだろう。ちょっと感度を上げて外の世界を観て、その目で自分の組織を見つめなおしてはどうだろう?
参考:「私たちはどこまで資本主義に従うのか」(ミンツバーグ著:ダイヤモンド社)